学校が休みになってからの息子の生活
学校が休みになり、息子は毎日遊び呆けています。
午前中は校庭開放で遊び、午後は近所の友達と公園で遊ぶ。夜は YouTube にはまっています。今まで、一応は習い事をしたりしてたのに、習い事も休みになってしまったのをいいことに、何もしない・・・勉強なんて全くしないです。
せめて今日はこれとこれをやりなさいと、毎日勉強リストを作ってやらせようとしていますが、息子は猛反発してきます。
それで私もしょっちゅう堪忍袋の緒が切れてしまい、毎日のように喧嘩です。
少しくらい自分からやらないのかなぁ~と期待しつつ、朝、優しく声を掛けて、我慢しながら息子の様子を見ているものの、日が暮れてきても、息子はやっぱり何もやらない・・そして、一日終わりに「やりなさい!」と私がキレる・・の繰り返しです。
こんな繰り返しが1週間以上続き、いい加減どうにかしたい・・・
それで、また、考えたのでした。
この喧嘩はなぜ起きているのか?
この私と息子の対立は、なぜ起きているのか、整理しました。
私は、なぜ息子に勉強をさせようとしているのか?
理由① 将来、生きていくために勉強が必要だと思うから。
理由② 「やるべきこと」をちゃんとやってから遊んでほしい。「やるべきこと」と「やりたいこと」をバランスよくやる生活態度を身に付けてほしいから。
勉強をさせたい理由を整理すると、これは、つまり、将来息子が社会で生き残ること、そのために社会の要請に合わせる力を身に付けてほしいという、社会に自分を合わせることを重視した考え方なんだと気が付きます。
息子は、なぜ遊びたいのか?
一方、息子の遊びたい理由は・・
理由① 今、子どもとして生きる中で、遊びは必要不可欠だから。遊びを通して、気持ちを発散したり、友達付き合いを学んだりしている。本能的に、遊びに強く惹きつけられているから。
理由② 赤ちゃんのように、欲求に従っているだけ。快適なものを求め、不快なものや面倒なものを避けている。
こんな感じで、息子は、将来ではなく、今を生きている。私の考えとは全く違うわけです。 私が勉強させたい理由(=将来生き残ること、社会の要請に合わせることの重視)と、息子が遊びたい理由(=今を楽しむこと、自分の欲求に従って自由であること)は、本来、対立して当然なことなんですね。
当たり前なのですが、これは、対立しても仕方がないな・・・と思ったのでした。
こんなに毎日喧嘩して、私は、うまく母親業ができていないのか・・などと思ったりもしましたが、この喧嘩は、やっぱり仕方ないんじゃないか?と思ったのです。
私の主張も間違ってないし、息子の欲求も大事だなと思うのです。
そして、対立するけれども、なんとかこの2つのバランスを取る道を探ることが大事。
そして、今、喧嘩しながら、それを模索しているんだと思ったのです。
将来の社会適応と、今の自由な欲求のバランス
この2つのバランスをとることは大人にとっても難しく、大切な課題ですね。
どのようなバランスの取り方をするのか、子育てを通して、改めて自分の生き方を問われているとも言えます。
そして、どんなバランスの取り方をするのかという日々の行動の中に、子どもの気持ちをどう扱うのか、子どもの将来をどう扱うのか、子どもにどのように愛情を注ぐのか、ということが表れてきます。
そして、バランスの崩れの中に、不登校や非行、うつ病、摂食障害・・等々の問題が生じる場合もある。私も、今、息子との喧嘩を通して、この問題に取り組んでいるのかなと思ったのでした。
親子喧嘩など、日常の些細なことと言えるかもしれないけれど、実は、大事なことかもしれない・・学校が休みの、こんな時、この問題に時間とエネルギーを掛けて取り組めるチャンスなのかと思ったのでした。