モモコの育児ノート

子育ての試行錯誤や、参考になった本など

言語能力は遺伝の影響が小さいらしい・・

能力は生まれつきのものなのか?努力によるものなのか?・・

とは、興味深い問いです。ただ、どの程度生まれつき(=遺伝)の影響を受けるのかは、その能力分野によって違うようです。

 

安藤寿康さん(2011『遺伝マインド』)によると、遺伝の影響を大きく受けやすいのは、

1位 音楽

2位 数学

3位 スポーツ とのことです。

 

それに比べると、言語能力は遺伝の影響が小さいらしい。


また、大阪大学国際医工情報センターの平田さんら(2016年)の研究によると、言語に関連する脳の活動は、遺伝の影響を50%、環境の影響も50%受けているとのことです。

 

なので、遺伝の影響が小さい言葉の力は、他と比べて、学習の積み重ねが大切な分野だと言えます。親が読書が苦手だから子どもも苦手になるということはないし、親が国語が得意だからといって子どもも得意になる保証はないからです。皆にとって、学習することが大事になります。

 

読書習慣はやはり大切なんだなぁ・・。うちの子たちももっと読書をしてほしいなぁ・・・、テレビや漫画ばかり見て、本はあまり読まない彼ら、どうしたらもっと本を読んでくれるのかな・・・と思う今日この頃でした。

「続ける」ためのコツ

私は何かをコツコツ続けるのが苦手です。学生の頃から継続力を身につけたいなぁ・・とは思っており、今まであれこれ試したり、色々と本を読んで調べたりしたことがあるのですが、いまだに継続力は身についておりません・・。

 

それでも、最近、続けていきたいことができたので(例えばこのブログとか)、今日は自戒を込めつつ、これまでの試行錯誤&文献調査による、物事を「続ける」コツを紹介します。

 

コツは全部で4つです。4つのうち3つは、純粋に「続ける」ためだけのコツ。最後4番目のコツは「続けて取り組んで、何かの成果を挙げるためのコツ」(おまけ)です。とにかく続けないと成果というものは出ないので、大事なのは1番目から3番目のコツです。何か成果を出したい場合には、プラスアルファでおまけの4番目のコツを参考にしてみてくださいね。

 

コツ① ”うまくいかなくても自分を責めない”

やろうとしていることが上手くできなくても、続けられずに休んでしまったり、中断してしまったりしても、決して自分を責めない。「またやったらいい」という、自分への優しさをもって取り組むことが大事なようです。自分を責めてしまうと、それが不快な刺激となり、「続ける」ことにマイナスに作用してしまうことが多いようです。

 

コツ② ”できるだけ楽しんでやる”

当たり前のことですが、楽しくないことは続かないです。楽しいから続くわけですね。楽しくないときは、楽しいところを見つけるように、興味が持てるところを見つけるようにするとよいようです。

 

コツ③ ”時間管理を意識する” 

「続ける」ことを実行するためには、生活上の時間管理が必要です。実行するために必要な時間(正確には時間とエネルギー)をしっかり確保するわけです。何曜日の何時は〇〇をする等とルール化して、あらかじめ時間を確保してしまうのもよいですね。

 

コツ④ ”(練習・タスクの)量にこだわる”

成果を求めない趣味やストレス解消のための活動の場合は、このコツは全く気にする必要はありません。このおまけのコツは、何かに継続的に取り組んで成果を上げたい場合の話です。その場合は、練習やタスク(=仕事・課題)の量にこだわり、その「数」「量」を積み重ねる必要があります。

 

ツライと感じるような練習をすることが、その時の自分の限界を超えている瞬間なのであり、ツライ練習を積み重ねることが、自分の限界を超えていくということとイコールだからです。

 

これは、コツ②と矛盾しますね。何か目標があるとか、成果を上げたい場合には、ツライ量の練習をしないといけない。でも、コツ②にあったように「楽しく」やらないと続かない・・。この矛盾を解消するのは難しいです。やはり、先にも書きましたが、続けて取り組まないと成果は出てこないわけで、まず続けることが必須です。好きだから、楽しいから、ツラくても練習できるという状態が必要になってくるわけで、コツ②はやっぱり大事なのです。「好きこそものの上手なれ」という結論になります。

 

参考図書:

超一流になるのは才能か努力か? (文春e-book)

 

実践版GRIT やり抜く力を手に入れる

 

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「読書好き」に育ってほしい

うちの子どもたちはあまり本を読みません。私としては「読書好き」になってほしいと期待しているのですが、なかなか難しいですね。

 

周りを見ていると、親が放っておいても自然に読書好きになっていくお子さんもいるようです。しかし、残念ながらうちの子たちはそうではなく、本を読むのは面倒だと思っているようです。すらすらと、楽に本が読めるようになるまでには、やはりそれなりの量の練習が必要で、それまでは、彼らをサポートして読書に向かわせたほうがよいのかな・・?でも、それって大変なんだよな・・などと思っておりました。

 

そこで、手に取ったのがこの本。教育界のノーベル賞と言われるグローバルティーチャー賞を受賞したという、アメリカの中学校の国語教師ナンシー・アトウェルさんの本です。

 

 

国語教育で一番大切なこと

アトウェルさんが、この本の冒頭で、国語教育で最も重要なポイントとして挙げていたのは、「時間の確保」でした。「読み」と「書き」の練習に多くの時間を費やさずして、読解力は伸びない!!と、アトウェルさんは断言していて、アトウェルさんのクラスでは、毎日の授業に加え、自宅で毎日最低30分は読書することが宿題になっているそうです。毎日の練習の積み重ねは欠かせないというわけです。



そして、こんな言葉も書かれていました。

本を読むことについての多くの研究にお金をかけていて確かに言えることがある。それは良い読み手は、励まし支えてくれる仲間と一緒にいることで読めるようになるということだ。そして、その効果をもたらすのは、信頼できる大人の情熱である。

 

なるほど。

熱意がないと、大人の方の努力も続かないものね・・・

 

当たり前のことですが、一日だけ読ませてもだめで、幾日も幾日も、年単位の熱意が必要だというわけですね。何事も、私は継続的に努力するのが得意でなくて、体力的に疲れてしまったり、気持ちが向かなかったりして取組が途絶えてしまいがちなのですが・・・なんとか、できる限り子どもたちの読書に努力していきたいな思ったのでした。アトウェルさんの情熱、素敵だなと思いました。

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雨の日に思い出す絵本

梅雨の季節。雨が降る日に、私がいつも思い出すのは絵本の『かさもっておむかえ』です。

かさもって おむかえ

かさもって おむかえ

  • 作者:征矢 清
  • 発売日: 1977/04/01
  • メディア: 単行本
 

これは、主人公の女の子が、お父さんを駅まで迎えに行く話。待っていても、なかなかお父さんが来ないので、女の子が電車に乗ると、そこは動物専用車だった・・・というストーリーです。子どもの頃、家にこの本があって何度も読んだのですが、読むたびに、ちょっと怖くて、私にとって特別な本でした。

私の頭の中で動物車両の雰囲気が自然と膨らんで、その雰囲気を何度も味わっていたので、大人になった今でも、しとしと雨が降る日に動物車両の雰囲気がよみがえってきます。

 

ちょっと心理学的に考えてみると、この動物車両が表現しているのは、慣れ親しんだ普段の世界とは違う「異界」と言っていいのではないかと思います。こういう「異界」に、子どもが一人で迷い込んだり、冒険に行ったりという話は、この『かさもっておむかえ』だけでなく、他の絵本にも出てくるテーマだということに思い当たります。例えば 、『かいじゅうたちのいるところ』がそうですし、『モチモチの木 (創作絵本6)』『おっきょちゃんとかっぱ (こどものとも傑作集)』などもあります。もっと言えば、ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』もそうですね。

 

主人公の子どもは、親と一緒の普段の世界を離れて「異界」に一人で出かけ、怖い思いをしながら困難を乗り越えて、また親元の世界に戻ってきます。

 

戻ってきた子どもは、もう、以前とは違う子どもになっています。”前と違う”というというその変化は、大雑把に言ってしまえば”成長”と呼ぶべき変化ですね。それは、親が知らない世界、怖い「異界」をたった一人でくぐり抜けた、孤独な冒険故の変化なのだろうと思います。ある意味で、親とべったりだった幼い世界との別れ・隔絶です。

親も知らない世界で、独りぼっちの心細さや、命を落とすかもしれない恐ろしさを味わいながら、なんとかくぐりぬける。そういう冒険が私達の心の成長には必要で、それを皆、心の底でなんとなく分かっているから、こういう「異界」が色んな絵本に出てくるのかなと思います。「異界」は、親から離れた世界での挌闘や怖ろしい気持ちの表現なのだろうと思います。

 

子どもの頃の私にとっての「異界」が、『かさもっておむかえ』で表現される動物専用車両と重なるものがあったから、あの本があんなに気になっていたのかなと思います。

・・・雨の日。また動物車両を思い出してしまったのでした。

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新しい生活

”新しい生活様式” を意識した社会が、始まっていますね。

 

わが家の子どもたちも、 学校や習い事と少しずつ動き始めています。

でも、以前と同じようには身体も気持ちも動かない様子。「もっと好きなことをしていたい!」「なんで習い事に行かないといけないの?」などとブーブー言っております。

 

以前と同じようにいかないのは、私も同じです。心身ともにゆっくりモードになっているということもあるけれど、今回の休校期間を経て、以前のように、忙しく慌ただしい生活には戻りたくないなぁと思うようになっています。

 

この休校期間は、今までの生活を振り返ったり、自分たち家族にとって本当に大切なことは何だろう?と考えたりする機会にもなりました。以前とは少し違う生活をこれから組み立てていこうと思っているところです。

 

◆◆

さて、その”新しい生活”でも、以前と同じように大事にしていきたいと思っていることがあります。「緑豊かな暮らし」です。

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少し前に、こんな記事もありました。

forbesjapan.com

”緑豊かな環境で育つと、成人後のメンタル不調のリスクが15%から55%低下する”という研究結果についての記事です。

 

わが家では、”家の中でみんなでイライラしていたけど、公園に散歩に行ったらいつの間にか仲直り”ということが、今まで何度もありました。私の生活に”緑”は必須です。

 

これから梅雨の季節。

アジサイを楽しんだら、その後は、子どもたちが大好きなトンボやセミ、カブトムシの季節がやってきます。私も楽しみです。

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床掃除と私

思い返せば、実家の床はいつも薄汚れていた。

床に物は落ちていなかったけれど、フローリングが汚れていて、スリッパを履かないと足の裏に細かいゴミがついた。 

 

私はそれが嫌で、自分の部屋の床だけはきれいにして、スリッパなして過ごせるようにしていた。床が汚い実家をなんだか居心地が悪いなーと思っていた。いつもそう感じてはいたけれど、薄々思っていただけだったので、床が汚いことをそこまで気には留めていなかった。

 

 

実家を出て自分の家庭を作り、子どもが生まれた時、私は一生懸命床を掃除するようになった。 赤ん坊が床を這いずり回るからだ。 それでも子どもがだんだん大きくなって立って歩くようになると、少しずつ私の関心は床掃除から離れていった。 床掃除の他にやらなければならないことが山ほどあったからだ。 時間をかけずにある程度床をきれいにするために、床掃除のロボットを買った。ある程度清潔さが保てればいいだろうと思っていた。



先日、家の片付けをしながら、子どもの心理カウンセリングの本をぱらぱら眺めていたら、家庭で十分な世話をされず、施設で暮らすことになった子どものプレイセラピー(心理士と子どもが一緒に遊ぶ心理療法の一種)の事例が目に入った。小学生であるその子は、心理士との遊びの中で、繰り返し床におもちゃを撒き散らしていた。床は、怪獣やら戦車やらで足の踏み場がなくなり、一歩足を踏み出そうとすると、どうしても固いおもちゃを踏みつけてしまい、「イテテ」となる。そんな心理士の様子を、椅子の上に座ってあぐらをかいたその子は高笑いをして見ていたという。

 

その事例についての、偉い先生のコメントがこうだった。

床は、心理的には”母なる大地”に関連するものだ。床は、自分を受け止めてくれる、安心して身を任せることができる母性が連想される。固く、とげとげした物が散らばり、安心して足をつけることができない床は、その子にとって母親がそういう存在だということの表現なのかもしれない。

 

それを読んで、私は、子どもが小さい頃に遊びに行った海外旅行先の床を思い出した。

 

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                     Image by inno kurnia from Pixabay 

 

 

そこは南国で、ホテルの床は、ぴかぴかの大理石だった。暑い所だから、石の床はひんやりと涼しくて良いのだろうが、固くてつるつると滑る大理石の上を子どもがよちよち歩くのは見ていて恐ろしかった。私は旅行中、子どもがいつ転ぶかと気が気でなくて、ちっとも気が休まらなかった。

 

大理石の床はとても美しかったけれど、私にとっては冷えすぎていて、安心して足をつけることができなかった。私はこの床では暮らせないと思った。安心して足を踏み出すことができなければ、何もできないではないか。

 

そう思うと、確かに床は、安心感の、心地良さの基礎かもしれない。

 

私は、今まで、床をないがしろにして生きてきたかもしれないと思った。

これからコロナ自粛が終わっても、床掃除をするくらいの余裕はもって暮らしていきたいものだなと思った。

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トイレ掃除は誰がやる?

我が家では、トイレ掃除は私の担当です。

結婚した時から、いや、結婚する前からトイレ掃除は私の仕事でした。

 

私は掃除が苦手です。でも、トイレ掃除は嫌いでない。

どちらかと言うと好きです。

 

私が苦手なのは、掃除というより片付けなのです。

一つの作業をやりながら、使った物を元の場所に戻したり、作業を進めながらもちょっと汚れた所を掃除したり・・・そういう、同時に色んな所に気を回すのが苦手なので、どうしても散らかる。

 

だから、トイレという限られた空間だけに集中して、そこをキレイにするという作業は好きなのです。

 

ちょっとやれば、ああ、きれいになってよかったなぁ~と達成感が得られるのも、トイレ掃除の良いところ。

 



でも、コロナのため、家族全員自宅にいる時間が長くなり、トイレ掃除も頻繁に必要になった今日このごろ、掃除をしながらふと思ったのです。



”黙々と掃除をして、家族の生活を支える母”というのは、良いことだと思う。トイレ掃除は実家でも母がしていたし、母親がするものだと勝手に思って、自分もやってきた。

でも、黙々と一人で掃除するのは、少し寂しい・・。結婚前から、当然のごとく私にトイレ掃除を任せてきた夫、「俺はトイレ掃除はしたくない。」と堂々と言う息子。私は寂しく掃除をして、彼らはあのままで・・・良いのだろうか?

 

 

息子たちは、駅や会社で掃除の仕事をしている方々を、自分と切り離して見るような人間になりはしないだろうか?

トイレ掃除に限らず、面倒で報われにくい仕事は世の中に結構ある。それを他の人に押し付けて済まそうとする人間になりはしないだろうか?面倒な作業は手分けして皆でやろう、という気持ちがある人間の方がきっと良いだろう・・

 

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で、試しに、言ってみた。

「今日から、トイレ掃除の責任者はパパにしようよ。それで、長男、次男、パパの3人チームでトイレ掃除をするっていうのはどう?ママもたまにやるけど、基本責任者はパパで。」

 

「・・・」

突然の私の提案に、無言の3人。

 

「・・そうだね。確かにトイレを汚してるのは俺たち3人だし。」と、夫。

 

「・・・」 まだ無言の息子たち。

 

そんなことがあってから一週間、まだ誰もトイレ掃除はしていない。

おーい・・・

簡単にはいかないものですな。

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