モモコの育児ノート

子育ての試行錯誤や、参考になった本など

「しつけ」の究極の目的

「しつけ」がうまくいかない。どこまで徹底してやるべきなのか・・

我が家では、「テレビは、夜8時になったら消す!」・・・ようにしたいと思っています。実際は、なかなか実行できていないけれど、一応、そうさせたいと思っています。毎晩、「もっとテレビ観たい~!」と言う子どもたちと「もう消しなさい!」と揉めていて、揉めたときの私の対応は、日によってまちまちです。

 

「私が毎日気合を入れて、徹底して同じ対応をすれば、きちんとしつけができるのか・・・?でも、そんなことは実際、無理・・・どうしたらいいのか・・?」などと悶々とする中で、そもそも「しつけ」は何のためにするものなのか?とりあえず、調べてみました。

 

「しつけ」の目的とは?

調べてみると・・

精神科医の滝川一廣さんの『子どものための精神医学』の中に、「しつけ」についての見事な記述があったのでご紹介します。

しつけは直接には、・・・「 身辺自立」を目的としている。

しかし、それだけではない。しつけを通して幼児が、世界にはいろいろな約束やルールがあって、それは大切なものだという体感と、その約束やルールに従って欲求や衝動を自分でコントロールする力を身につけるところに精神発達上の大きな意味がある。

 

排泄の欲求が起きてもオマルに座るまでは抑える、 空腹でも食事の時間まで待つ。・・・コントロールはこうした抑制から始まる。 しかし抑制がコントロールなのではない。一旦オマルに座ったらがんばって排泄に努める、「 いただきます」をしたら食べることに力を注ぐというように、衝動・欲求を満たす方向にコントロールが向かわねばならない。 衝動・欲求は必要があって生じるものだからである。

 

生命的・生物的なものからはじまり、やがて対人的・社会的なものにいたるまで、人間は様々な衝動・欲求にぶつかりながら生活を送っている。それらを社会的なルールや状況にあわせて、あるときは抑える努力を、あるときは満たす努力を使い分けながら自分の行動をコントロールしていく力、それによって何かを実現していく力は、通常、「意志」と呼ばれている。

 

これは社会を生きるうえできわめて重要な力である。しつけの大きな役割は、この意志の土台をつくることにある。

 

自分の欲求を時には抑える努力をし、時には満たす努力をする。

我慢と満足、その両方とも大事にし、社会に合わせながら、自分をコントロールしていく・・・それは、生きていくうえで、本当に、とても大事な力ですね。

 

毎日の「しつけ」は、子どもたちの人生にとって、そういう意味があるんだと知り、

深く感動したのでした。

 

コントロールの力(=意志の力)を養うという、「しつけ」の最終目標をしっかり意識しておくことは、毎日ぶれてしまいがちな私の行動を支えてくれる指針になるな・・・とも思いました。

 

子どもたちは、まだ、自分をコントロールする力なんて持っていません。母親である私だって十分ではない。だから、日によって、子どもたちがきちんとできないことがあっても当然だし、私もうまくはできない。少しずつ上達するように、子どもたちと一緒に育てていけばいいんだと思えたのでした。